ユウユの映画の時間

ディズニーすきです

『ピーター・パン&ウェンディ』感想(ネタバレあり)

 どうもユウユです。もう5月...。大学2年です...。大人になりたくない...。そんな私がレビューするのはディズニープラスで4月28日から配信されている『ピーター・パン&ウェンディ』です。。。私は超過密スケジュールにつきまさかの今さっき観てきたという。。。以下、ブログで加筆修正するかもしれません。よろしくお願いします。

 

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 さて、このブログの1番アクセスが多かった『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』評でも申し上げた通り、私はピーターパンがあまり好きではありません。残念。

じゃあね、観んなって話じゃないですか。でもね、ディズニー好きとして見ない選択肢はなしなわけですよね。だって面白いかもしれないし。

 

 ここで少し最近の実写化続編ラッシュについて軽く触れていきたいと思うんですが、やっぱり「多すぎる!!!」というのが正直な感想。私は最近のWDJ配給映画は全て劇場で観ていますし、ディズニープラス限定の映画もそこそこは観ていますが、実写映画の個人的なハマった映画は実写化よりもやはりオリジナルの映画の方が観たいし、応援したい。これは一時期のOVAによる続編の粗製濫造時代に似ている傾向にあると思っていて、『ラーヤ〜』評で申し上げた通り暗黒期がもうすぐそこまできてると思います。ただ、OVA映画の中にも、例えば歴史改変ものの『シンデレラIII 戻された時計の針』(07)とか好きなものがあるように、実写化映画も『わんわん物語』(21)とか『クルエラ』(22)なんかはとても好きで、玉石混交だなと思っています。なので、いろいろ苦言は言うかもしれないし、世論の意見もわからなくはないが、とりあえずは商業主義としての続編ラッシュのことは一旦置いといて、この「ピーター・パン」の実写映画を観ていこうと思います。まずはやはり「観る」ことが大事!!!

 

 ということで、『ピーター・パン&ウェンディ』。こちらを紐解くには監督のデヴィット・ロウリーについて語らなければなりません。彼の作家性みたいなものがとても今回の題材にマッチしていて、良いんですよね。監督を読み解くにあたって私は日本で観れる長編は全て観ました。その中で感じたことを話して行きたいんですけど、彼の作家性としては「使命、宿命を背負った主人公がそこから導かれる耐え難いけど向き合わなければならない現実に直面する話」と言えるんですね。まずは『セインツ -約束の果て-』という作品。1970年代のアメリカ合衆国テキサスを舞台に、ボブとルースという、これ演じてるのはケイシー・アフレックルーニー・マーラです。そのカップルは強盗とか窃盗で生計を立てているんですけど、ルースの妊娠が発覚して、「じゃあ、強盗から足を洗って真っ当に生きようか」ってなるんですよ。それで、「これが最後の強盗だ」ってことで銀行強盗をするんですけど、そこでミスってですね、保安官とかを撃っちゃったりして、事態が大きくなって男側が投降するんですね。女側の方は子育てもあるからってことで、男に脅迫されたってことで釈放されて子育てすることになるんですけど、そこから4年後の姿を描くと。そしたらね、男の方が脱獄しましてね、帰ってくるんですよ。でもね、こういった事情を全部知ってる撃たれた保安官が母子をすごい気にかけてて、「危険な目には合わせられない」と思って、男側を、まぁ脱獄犯ですから、部下に殺せって命じるんですよ。この「使命」の話を撮って注目をされたんですよね。「会いたいけど会えない」とか「相手を思って近づきたいのに近づけない」とかもどかしい感情が「使命」によって渦巻いていく様が非常に見事なんですよね。

 

 ここから友情に置き換えたがディズニー映画『ピートと秘密の友達』(16)ですね。これは幼少期に親を事故で亡くしたピートが森で出会ったエリオットと出会うところから始まるんですけど、もういきなりちょっと悲しいんですけど、エリオットと森の奥で暮らすことになるんですよ。それから6年後、ブライス・ダラス・ハワード演じる緑化活動っていうのかな?その森のプロみたいな人とピートが出会ってですね、まぁターザン状態なんで、引き取ることになるんですね。そこからピートという隠さなければならないとどう折り合いをつけるか、が描かれるんですね。エリオットはピートがお家で絵本を読んだりしてるのを一方的に見てなくてはならない。人間のピートとドラゴンのエリオット。エリオットはピートを見守る「使命」があるけど、ピートも人間である、俗世間にいるべきという「使命」、保護する方の守ってあげなきゃという「使命」、ドラゴンは危ないから子ども守らないとという「使命」...。お互いが「使命」を全うした先にある「向き合わなければならない現実」。これがやはり特徴的かなと。

 

 次に撮ったのが、『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(18)。こ!れ!が!めちゃくちゃ!良い!

 ケイシー・アフレックルーニー・マーラのタッグなんですけど、またまたカップル役でですね...。MとCって名前なんですけど、また男と女って呼びますね。内容は現代の田舎町に住んでいるカップルの男側が交通事故で亡くなってしまうんですけど、お化けのフードを被った姿で現れるんですよ。でも、人の目には触れられない“ゴースト”になっていてただただ眺めることしかできない。自分を失った悲しみに暮れる彼女、気遣いにもらったパイをドカ食いする彼女、日常を段々取り戻していく彼女を全部見ることしかできないという...。この先は実際に確認して欲しいんですけど、これも最終的には「使命」の話になってくるんですよね。これは『グリーン・ナイト』(22)のパンフレットに書いてあったんですけど、この2作『ピートと秘密の友達』と『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』は兄弟のような作品と語られているので、関連性がやはりあると言うことを念頭に置いてみると、エリオットは透明になって見守るだけの存在というのが共通していました。私は「使命」と「現実」二部作と勝手に呼ぶことにします。

 

 ロバート・レットフォードの引退作『さらば愛しきアウトロー』(18)を経て、次に撮ったのがA24の『グリーン・ナイト』。アーサー王の甥なんだけども小心者で誇れる騎士エピソード的なのも特にないガウェインが主人公なんですけど。ガウェインがクリスマスの日に全身が木のブサイクなグルートみたいな騎士が現れてですね、首切りゲームを持ち掛けるんですよ。「俺の首を討ち取ってみろ、そんだら一年後お返しするから」と持ちかけられ、流石に「やるっきゃないっしょ!」となったガウェインはですね、グルートの首を切り落とすんですが、グルートが「ヨイショ」って切り捨てられた顔を持ち上げてですね、「じゃあ一年後待ってっから」って言ってどっかいっちゃうんですよ。一年後、ガウェインは渋々グルート狩りに出掛けるという...。「なんか騎士が出かけるらしいで!」って子どもたちが騒いでですね、ガウェインの出発を見守るんですけど、ガウェインの顔がマジやる気ないなこいつみたいなのでめちゃくちゃおもろいんですよね。これも是非観ていただきたいです。この映画はさっき言った「使命、宿命を背負った主人公がそこから導かれる耐え難いけど向き合わなければならない現実に直面する話」ではあるんですけど、厳密に言えば使命、宿命を背負った主人公がそこから導かれる耐え難いけど向き合わなければならない現実に直面することから逃げようとする話」なんですよね。今度は「宿命」と「逃避」のお話かなと思いました。

 

 そして今回の『ピーター・パン&ウェンディ』は『グリーン・ナイト』と兄弟みたいな作品と監督が語られていて、この二つセットで「宿命」と「逃避」2部作と勝手に呼ぼうと思います。寄宿学校に行かなければならないウェンディが夢見たネバーランドをピーターパンと一緒に巡る内容。このネバーランドは大人にならなければならない「宿命」から「逃避」する象徴として描かれます。ですが、ここもウェンディが寄宿学校に行きたくない明確な理由というか、ぼんやり学校行きたくないくらいにしか受け取れませんでした。「大人になりたくない」、「母親の人生は嫌だ」と思う理由がいまいちわかりませんでした。原作ではお金をやりくりして一家を支えているという実感を感じたい、地元のコミュニティからも求められたい、ゆえに怒りっぽくなるお父さん。とそれらを全てわかった上で丁重に扱ってみせるお母さん。この辺の大人の性急で余裕がない大人描写が描かれるので、これはなりたくないわと思うんですが。少なくとも映画だけだとあまり分かりませんでした。

 そして行きたいと願っているネバーランドもかなり問題ありで、原作では子どもたちが思い描いた通りになるので、海賊やインディアンキャンプなんかがあるディズニーランド状態になってるんですが、今作はネバーランドに行くまでが割とすぐなので細かな設定は不明です。このネバーランドがよくわかんない部分がこの作品の1番評価を落としている部分なんじゃないかと思います。

 

 ネバーランドは憧れの象徴、つまりそれがおとぎ話であったと思います。おとぎ話は、プーさんで言うところの100エーカーの森と同じで、常にどこか心の中に存在して、童心に返してくれる特別な存在だと思います。『魔法にかけられて2』(22)の時も言ったんですが、「「いつまでも幸せに過ごしました」という話がなんで受け入れられているかって、自分達の生きている世界はそうはいかないことがあっても、お話の世界に一度戻って来れば、物語の世界だけは必ず幸せが待っている。だから、勇気をもらえたりする。」と言うのが私のおとぎ話へのスタンスなので、ネバーランドはそう言う世界であって欲しかったですね。今作のネバーランドがなぜ辺なのか、それは子どもと大人の話として描かれる舞台としてはいまいちだからです。

 

 フック船長とピーターパンについて見ていきましょう。フック船長はピーターと親友だったが、フックが母親に会いたくなり、ネバーランドを出て行くという設定があります。なるほど。私はフックはネバーランドを飛び出して、こちらのウェンディたちが住んでいるような世界にやって来たのかなと思ったんですが、よく考えるとスミーが小さかったフックを拾い上げた設定があるので「???」となりました。ネバーランドから出て行ったとは言ったけど多分飛べもしなかったのでその辺を彷徨ってただけだと思うんですが、ピーターはこちらの世界に度々戻ってきていたので、「なんで教えてあげないの?」と思いました。『ピートと秘密の友達』のような一方的に見ることしかできない関係はピーターもどうやらそうだったみたいですが、だとしたら映像として見せてくれ...。言葉で告白されても子どもと大人のルールがよくわからないのでわかりません。ピーターの宿命はおとぎ話として存在し続けることなのかもしれないが、「気づいたらおとぎ話になってたわ〜」くらいなのでこれもよくわかりません。フックもピーターもロジカルではない感情的な子どもの喧嘩で、そうするのはわかるけども、少なくとも僕は置いてかれましたね。ジュード・ロウ(森川ボイス)はとても魅力的でしたが、「子どもの時にいい思い出がない、大人になるしかなかった大人」としての話があまり描かれずじまいで物足りなかったです。ピーターがネバーランドに戻る結末も、ピーターはフックのことを思って帰ってきたとかではないと思います。フックは船から落ちて、死んだ扱いを受けているので、そう考えるとピーターが戻った理由もよくわかりません。

 

 ロスト・ボーイズたちも、原作では看護師さんの目から逃れてベビーカーから落ちてしまった子どもたちをピーターが連れて行った、ゆえにお母さんを知らないという設定がありました。しかも、なぜボーイズなのかというと女の子が頭がいいからベビーカーから落ちないというものでした。今作はみんないたので良かった(?)のかな。あの子たちはネバーランドからこちらの世界にやってきますが、フックのことを思うとピーターは本当はしたくなかったんだなと思います。でも、ピーターはおとぎ話としての「宿命」(?)を全うするために行ったようにも取れますが、やっぱりよくわかりませんでした。

 

 ここまで、わからない映画は久しぶりですが、良かった部分もたくさんあります。それはチクタクワニですね。『ピノキオ』(22)の時もそうなんですがここのモンスター描写はこの映画の1番盛り上がる部分だと思います!『カニング・キラー 殺戮の沼』(07)や『ロキ』(21)の時も思いましたがやっぱりワニは素晴らしい!!!

 

 そしてタイガー・リリー。え?!かっこよすぎます!と言わんばかりの活躍ぶり。『シャンハイ・ヌーン』(00)の困った時はなんでもしてくれる感じが心強かったです。

 

 そしてフック船長。もう彼をいっそ主役に据えて、ピーターとフックの物語をもう少し丁寧に紡いでほしかった。

 

 ウェンディが処刑の板を飛ぶ時にデヴィット・ロウリー印の編集によって一生を見る。あの瞬間はまさに『グリーン・ナイト』でガウェインが観るヴィジョンにそっくりでした。そして「見ようとすれば見える」というティンクの声。将来への不安は楽しいことを考えると良いんでしょうか。今作のためにデヴィット・ロウリー監督作品と原作を読み返しましたが、原作がやはり面白く、(もしくはスピルバーグの『フック』(91))、デヴィット・ロウリー作品の中では『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』がとても良いので、僕のように満足出来なかった人はそっちを見てもらえたらいいかなと。

 

 全然わからなかった〜。みなさんのご意見を是非お聞かせ願いたい作品でした。