ユウユの映画の時間

ディズニーすきです

『魔法にかけられて2』感想(ネタバレあり)

 どうもユウユです。

 今回は『魔法にかけられて2』の感想をネタバレありで書いていきたいと思います。

 

注意:『魔法にかけられて』、『メラニーは行く!』、『ワンダ・ヴィジョン』中盤までのネタバレも含みます。

 

〈あらすじ〉

 ロバートと結婚してからその後、ニューヨーク郊外で迎えた新生活で憂鬱な日々を送っていたジゼルは、“永遠の幸せ”を願い魔法をかけたが、誤って街全体をおとぎの世界にしてしまった。その魔法によって意地悪な継母へと変わり始めたジゼル。深夜12時の鐘が鳴り止めば、魔法は現実になってしまう。本当に望んでいたのはおとぎ話のような“永遠の幸せ”?ジゼルはその答え見つけ出すために家族と共に動きだすのだったー

引用・ディズニープラス公式サイト(続編『魔法にかけられて2』公式サイト|ディズニープラス公式)

 

 2007年の 『魔法にかけられて』の続編。劇場公開はせずディズニープラスで11月18日から配信開始。主演は前作のキャストが集合し、エイミー・アダムスパトリック・デンプシーのほか前作の公開時ではまだ公開されてなかった『アナと雪の女王』(13)のエルサ役で知られるイディナ・メンゼルも続投。これ、前作はいろんなディズニープリンセスのオリジナルキャストがカメオ出演する映画だったので、振り返ってもっと豪華な映画になった感じがありますね。監督は『キャプテン・ウルフ』(05)や『ベットタイム・ストーリー』(08)などのアダム・シャンクマン。特に今挙げた『ベットタイム・ストーリー』は今回の映画にかなり似てますね。寝る前に読み聞かせする話が現実になっちゃった!って内容です。

 

 ということで思ったことを言っていこうと思うんですが、まずは『魔法にかけられて』という作品がどういう映画だったかを自分が感じたなりにまとめてみました。『魔法にかけられて』は往年のディズニープリンセスストーリーみんなが思いつくような決まりきった型を少し捻ってみせるような映画だと思います。ディズニープリンセスはちゃんと観れば毎回新しいことをやっているのは周知の通りですが、そこは置いといて、イメージでのプリンセス像がジゼルそのものに強く反映されてると思います。極端なんですけどね。ずっと元気で感情が高ぶると歌い出し、王子様を夢見て純粋に生きている感じ。そんな人間が現代社会の洗礼(笑)を受けたらどうなっちゃうの?!みたいなのが非常にキャッチーな部分だと思いますね。でも、それはフリに過ぎなくてここから怒ったり、悲しんだり、あるいは幻滅したり感情を獲得して人間らしくなっていく姿が興味深い映画でもあるんですね。そこから自分の人生を見つめ直すと。エドワードみたいな(良いやつだけど)事あるごとに剣を振り回す危なっかしいやつでいいのかな...とかね。結果的にロバートと結ばれ、「運命の人と思われた人が必ずしもそうとは限らない」話の展開もしっかり用意されている。『アナと雪の女王』の5年前にもうこの展開はやっていたんですよね。(ポカホンタス2?知らない子ですね...)この展開はタッチストーン映画『メラニーは行く!』(02)にインスパイアされてるのではと私は思っています。

 

 『メラニーは行く!』は主人公のメラニーパトリック・デンプシー演じるキャラに恋して婚約まで取り付けるのですが、メラニーには離婚がまだ成立していない別居中の夫がいて...という話。結果的に夫と寄りを戻すんですが、かわいそうなのがパトリック・デンプシーのキャラで、本人は優しいので全然承諾しているのですが、彼のお母さんは「恥をかかせおって!!」と怒ってるんですよね。この映画、僕はやはり彼女のわがままに見えてしまってひたすらになんか不憫じゃないかと思ってしまっていたので、『魔法にかけられて』で救われた気持ちがありました。ジゼルにはロバート、ナンシーにはエドワードっと幸せに結ばれる話がどちらにも用意されていて、(たしかに結婚だけが幸せはないにしろ)僕は『メラニーは行く!』の正統進化だと感じました。

 

 結末にだけフォーカスしましたが、細かいディティールについても触れておきます。おとぎ話の世界からやってきたジゼルの振る舞いはいわゆる共感性羞恥が沸き立つようなものでアンダレーシアと良い対比になっているんですが、特にその中で気になるのが歌です。アンダレーシアでは感情が高ぶると歌い出してしまうようで、ロバートにも「それはやめてくれないか」と苦言を言われていました。現実世界でいきなり歌い出すことは当たり前ですが不自然です。ですが、『魔法にかけられて』のミュージカルシーンはそこに「これならあり得るかも」と思わせる気遣いがしっかりされています。例えば「歌ってお仕事(Happy Working Song)」はジゼルが一人で歌っている曲。他の目が入らないことで違和感なく観れるようにはなっていたり、「想いを伝えて(That's How You Know)」は路上演奏のメンツとノリノリになり突発的に発生したように曲を始めるのもうまかったです。急に歌い出す不自然さを軽減して、ミュージカルにのめり込める工夫が行き届いてると僕は思います。

 

 ラブコメとミュージカルというジャンルをプリンセスの話に見やすく織り交ぜた総括であり前進したディズニー映画として偉大だったと思う一作目である『魔法にかけられて』。正直公開から数十年経った今でも通用する内容だと思いますが。さあ、『魔法にかけられて2』はどうだったのか。

 

 


 序盤までは結構ウキウキで観てました。アンダレーシアから始まるオープニングにはテンションあがりましたね。前作のリスのビップが『ベッドタイム・ストーリー』のように読み聞かせしていく、前作の総集編が入るシーン。数年ぶりの続編なので『ホーカス・ポーカス2』(22)のように親切な作りになっています。そしたらですね、「もう一つ本があってね...」とビップが本を取り出して、「いつまでも幸せに暮らしました」の後の話を読み始めるんですね。

 

 前作から15年後を舞台に、子どもが産まれて田舎に引っ越すことにしたところから始まります。この後の展開も含めて『ワンダ・ヴィジョン』っぽいなと思いましたね。モーガンティーンエイジャーになっていて、皮肉について話すシーンがあります。ジゼルさんこの15年でてっきり人間的になり、逆に「皮肉とかを使ってくるほどに現実世界に染まった」キャラとかにはせずにまだアンダレーシアのモードで生きていて少し驚きました。引っ越し先に着くと、『アレクサンダーのヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日』(14)や、軍人役のヴィン・ディーゼルが育児に励むドタバタ劇で同監督の『キャプテン・ウルフ』のような、家族はツラいよと言わんばかりのドタバタ劇が繰り広げられます。この慌ただしさは好きでしたね。次から次へと嫌なことが積み重なり、アンダレーシアからもエドワードとナンシーが現れて...。エドワードは相変わらずですが、ナンシーとジゼルの昔から仲良い感じはやっぱり嬉しいなと思いましたね。同時にアンダレーシアへのホームシックが加速するのまた切ないところ。

 


 フィリップは出勤、モーガンは登校、ジゼルは育児とそれぞれの人生の鬱憤が描かれます。ここもワクワクしましたね。フィリップは「通勤電車に後何回乗るんだろう」というような、『アナザーラウンド』(20)あるいは『インナーワーキング』(16)からの『ソウルフル・ワールド』(20)のような同じことの繰り返しに希望を見出せない「中年の危機モノ」としての話。モーガンは田舎の学校に転校してきた「恋愛学園モノ」、転ばされて「転校生のお決まりね」というセリフは典型を捻ったA24の『ベアリー・リーサル』(15)を想起しましたね。アンダレーシア気分のジゼルを「恥」と思われていることが悲しい様子は『2分の1の魔法』(20)のイアンとバーリーの関係とか、母親の「おせっかい」が鬱陶しく感じている『私ときどきレッサーパンダ』(22)とか、主題ではないですが『すずめの戸締まり』(22)とか最近のトレンドのような物語、「母娘モノ」(?)とでも呼びましょうか。この3つの軸で話が進んでいくような気がしました。「なるほど、これは2時間必要だわ。」と感心していましたがこの要素を全てごちゃ混ぜにしてしまうある展開から僕はもうダメでしたね。「なんでも叶う魔法の杖」とかいう、ご都合主義が罷り通っちゃうチートアイテムをゲットしちゃうんですね。ミュージカルシーンも突然カメラを意識したように歌い出す不自然で退屈なシーンなんですが、ジゼルはおとぎ話の世界になるように願うんですね。

 


 そのおとぎ話の世界がおとぎ話に全く興味ない人が想像だけで作ったみたいな変な世界でなんですよね。街の人もエキストラとして巻き込んでしまうと。(どっかで聞いたことある話ですが...。)我らが『26世紀青年』(06)のマーヤ・ルドルフ演じるマルヴィナが『白雪姫』(37)の女王風な役になり、ジゼルは『シンデレラ』(50)の継母(トレメイン夫人)風の役になってしまい王女を狙い合うという話。マルヴィナが杖を盗む展開は『シンデレラIII 戻された時計の針』(07)を想起しました。元々おとぎ話風の街なので別に世界がおとぎ話になっても全然見違えないし、仮想世界の競り合いなんか興味ないというのが正直なところでした。「学園モノ」の部分も単純ないわゆるプリンセスストーリーを雑になぞっただけという...。ロバートのシーンとかはギャップがあって少し面白かったですが、話の軸が話が進めば進むほどよく分からなくなるのが残念でしたね。少なくとも『ワンダ・ヴィジョン』、『私ときどきレッサーパンダ』をやった後に公開される映画とは思えないですね。『フェアリー・ゴッドマザー』(20)とか『スニーカー・シンデレラ』(22)の方が過去のいわゆるおとぎ話のアレンジはうまかったですし、主人公と思われたプリンセスも悪役になりうる話は『アナと雪の女王』シリーズで描いていましたからね。前作では粋だったオマージュシーンも予告で分かっていた範囲では良かったですが、あからさまなシーンの引用があって、その度に冷めてしまいました。『リトル・マーメイド』とか無理がありすぎて面白かったですが、「Love Power」のシーンのシンデレラオマージュとか「やめてくれ」と思いましたね。(アラン・メンケンイディナ・メンゼルは最高ですが。)

 


 全体の違和感に通じているのは圧倒的な描き込み不足だと思いますね。15年間の家族の関係の変化があまりわからないし、赤ちゃんがいるはずなのに全然触れないし、引っ越しの件も話し合いが足りなすぎると思いました。ニューヨークのロケが前作でかなり掛かったので、それっぽいセットにしたような邪推もできてしまいますし、続編としての意義が全くわからない一作でした。おとぎ話に対してのスタンスも前作とは真反対で、「いつまでも幸せに過ごしました」という話がなんで受け入れられているかって、自分達の生きている世界はそうはいかないことがあってもお話の世界に一度戻って来れば、物語の世界だけは必ず幸せが待っているから勇気をもらえたりする。「ビリーヴ〜」と重なりますが、人生の辛い時でも長いスパンで見れば最後には必ず「幸せ」になるという幻想を抱かせてくれる、心の支えになってくるという部分はずっとあったはずで、最近はその「幸せ」をより受け入れやすくしているだけであって本質は変わらないはずなんですが、安易にその先を描いてみせるということは少なくともディズニー(狭義)にはいらないかなと思いました。(シンプソンズならアリかもしれないけど。)

 

 『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』(22)など、過去の作品に簡単にアクセスできるディズニープラスの特性を活かしたいのか、オマージュを詰め込む風潮が流行っている気がします。個人的には一刻も早くやめてほしい。(『シュガー・ラッシュ:オンライン』(18)はまだネット世界の話なので許せましたが。)ディズニープラスオリジナル作品のこれからが不安にすら思えてくる作品でした。