ユウユの映画の時間

ディズニーすきです

『チップとデールの大作戦 レスキューレンジャーズ』(2022)感想

 

〈あらすじ〉

同名『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』(1989)から30年以上が経過し、忘れ去られた存在となったチップとデールが親友モンタリーを救うために手がかりを追っていくが...

 

チップの声優をジョン・ムレイニー、デールの声優をアンディ・サムバーグ...あれですね、『モンスターホテル』とか、実写だと『パーム・スプリングス』のあの男ですね。他にはJ・K・シモンズセス・ローゲンが脇を固めています。

 

ということで、『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』。私も吹替と字幕で計2回観てきました。今回吹替も字幕も両方良かったですね。字幕だとやっぱりJ・K・シモンズ演じるパテ警部がめちゃくちゃ良い。『スパイダーマン』シリーズの時から聴き慣れているあの声ですからね。すごくハマってました。

 

ここでちょっと自分のレスキューレンジャーとの距離感を話しておきたいんですけど、幼い頃から存在は知っていたけどちゃんと見始めたのはつい最近ということで、特別な思い入れみたいなものがあるわけではないんですね。ですが、非常に面白くて気に入っているシリーズで、好きな回は5話『21世紀宇宙の旅』、44話『からくりエンペラー』とか45話『危ないスパイゲーム』はもちろん、64話『タップとシューズ』とかですね。後半になるにつれてクオリティがすごい上がるんですよね。レスキューレンジャーズの楽しさは荒唐無稽なニムナル教授やファット・キャットの企みを暴くヒーロー的な側面がとてもあって、ミステリー要素が強く探偵チックな作品なんですよね。今作冒頭で未視聴の人にもしっかりわかるようなしっかりめの説明が入るのも親切設計かなと。45話はマストで観るべきとしてそれ以外はぶっちゃけ予習という意味では必要ないので気になった方は今すぐ観てくださいね。

 

今作はレスキューレンジャーズよりも他の会社を巻き込んだクロスオーバー、ブラックジョークの数々を楽しみたいという作風。『レディ・プレイヤー1』(2018)や『トムとジェリー』(2021)や『スペース・ジャム』(1996)の続編『スペース・プレイヤーズ』(2021)などカートゥーンの大御所たちが現代に蘇る作品が多数作られていて、それの流れを汲んでいるのは間違いないですね。ディズニーのクロスオーバー大作だと大傑作で今作にも出演している『ロジャー・ラビット』(1988)や『シュガー・ラッシュ』シリーズ、あと私は観れていなくて本当に申し訳ないんですが私が生まれる前に放送されていた『ハウス・オブ・マウス』(2001〜2003)、遡れば『ミッキーのポロゲーム』(1936)、『ポップアップ ミッキー/すてきなクリスマス』(2004)など別に珍しいことではないんですね。しかしやはり『ロジャー・ラビット』で構築された一連の作品をトゥーンという存在で解釈する方式。トゥーンは歳を取らない、基本的に死なない、雄一の殺す方法はディップだけ、アニメが生まれる瞬間などは一切気にすらさせない。映画における何を写して何を写さないかのバランスが絶妙だったわけですね。特殊効果の妙然り、フィルムノワール(※厳密には違うがわかりやすいのでこの表現を使います)としての完成度然り、トゥーンへの解釈然り。今あるトゥーンタウンという概念そもそもを作り出した、非常に重要な作品な訳ですね。それ以前と以後でアニメの捉え方が決まってしまった訳です。だからこそクラリスの見た目がほぼ別人でも「こういう役を演じている」という解釈でもって我々は自制心を保てるのですよ。『レディ・プレイヤー1』や『シュガー・ラッシュ』は時代に合わせてインターネットやゲームを用いてお話を展開しているように、本当なら時代に沿った語りが必要なんですね。わざわざ今回あの『ロジャー・ラビット』を予告にまで出して2Dアニメーションにとどまらず3D、モーションキャプチャー(などを使用したキャラクター)、パペット人形、クレイアニメなどさまざまなアニメ表現を用いてレスキューレンジャーズの実写化をやるということはクリアしなければならない問題がそこかしこにあるんですね。さぁ一体どうだったのか...。

 

ということで、これからですね...。まだJ・K・シモンズのアフレコしか褒めてないんですが以下、ネタバレありで酷評がつらつら連なるのでお好きな方、もしくは観てないという方は『バズ・ライトイヤー』評論でお会いしましょうということでお願いしますね。大丈夫ですね...?

 

これは『トムとジェリー』(2021)のときにも話したんですが、アニメと人間を描く上でやはり重要なのは映画でしか成立し得ないハッタリをどう説得力を持たせるかに尽きると思います。『メリー・ポピンズ』(1964)、『ベッドかざりとほうき』(1971)、『ピートとドラゴン』(1977)はトゥーンを魔法的なものとして描いていて、エリオットは少年にしか見えないトトロ的なものだったり説得力ないやつはないなりの設定が盛り込まれている。当時はアニメーションと実写の融合という話題性で製作していましたからね。ただ今回は明らかに前述の通りの『ロジャー・ラビット』の延長線上にある話なんですね。ただ今作はそこへの説得力が皆無で個人的には乗れなかったですね。説得力はないならないなりに『ザ・マペッツ』(2011)くらいの突き放し具合だったらよかったんですがね。冒頭からしっかりトゥーンと人間が共存している世界が描かれるんですね。ですが、トゥーンの描き方があまりにも不自然なんですね。あと私が前にツイートしたこととしてクロスオーバーや実写化に頼ってて展開される話自体がつまらなかったら意味ないと言ったんですが、それになってしまいましたね。

 

まず冒頭から話していきますが、トーマス・チッペンデール。誰ですかね。鉛筆が目に刺さるギャグ。なんもなかったですね。『フルハウス』。出てないですね。『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』の映像が流れるところで存在しない回を流しますね。それは伏線に使うっていう。...いきなり変なんですね。「00デール」って45話のチップの妄想ですけどそれを新番組として使っていたり...。つまりこの現実と向こうの映画内の現実が若干違うんですね。つまり作品内作品にレスキューレンジャーズが収まっていて我々の知っているそれとは全く違うと。バルーやプンバァが超実写版で出てくるけどルミエールはアニメ版。去年あたりに発売されたチップとデールのポップコーンバケツが置いてあるけど人気がないことになっている。この時点でかなり飲み込み辛かったですね。チップとデールがレスキューレンジャーズ一本のかつての俳優という位置付けで物語が展開されているのはどうなんですかねってちょっと思っちゃいました。これは「『マレフィセント』が私の知ってる『眠れる森の美女』じゃない!けしからん!」論争とは少し違って、たしかに『チップとデールの大作戦 レスキューレンジャーズ』はそこにあるけど、それは我々の知っているものとは違う、別物になっているという特有の問題があると思います。これこそ海賊版だよ!?またトゥーンの描き方は描き方で1番問題なのはピーター・パンですね。『南部の唄』、『わが心にかくも愛しき』、『宝島』そして『ピーター・パン』のピーター役、ボビー・ドリスコールの最期を知っていれば知っているほどあのバックグラウンドは避けるはずなんですけどね。彼はディズニーのお気に入り俳優だったが青年になってから荒れ始めて、ドラッグの過激摂取でニューヨーク州ニューヨークで身元不明のホームレスとして31歳の若さで亡くなったんですが...あまりにもブラックすぎる。ちょうど私はこの前『宝島』を観た時にそれを知ったので、いくらなんでもひどいなと思ってしまいました。マコーレ・カルキンとかそれこそロバート・ダウニー・Jr.で本当はやるべきネタですよ。『シャギー・ドッグ』(2006)みたいな。それかオズワルド。ユニバーサル版を海賊版って言って流すの面白くないですか?!しかもその笑いのためにか設定がぼやけるんですね。トゥーンは歳を取らない問題が覆ったわけですよ。別に年を取るならそれで良いんですが、だったらなんでわざわざロストボーイズのあいつをそのまま出したのかって話になりますから、作品内世界の中でも既に設定に無理が出ている。しかも、そいつ海賊版作れる機械持ってるんですよ。海賊版作ってないであの頃の顔にすればいいのに!!それに著作権に引っかかるってトゥーンという存在の権利はアニメ会社に帰属しているってことですか?って話になってくるので大人しくロジャーラビット先輩が築いてくれたルールに乗っかるべきだったんじゃないですかね。しかもディズニーのそれらしいネタってそれだけなんですよ。青く塗っただけのウィル・スミスくらいは出せたでしょって思っちゃいますね。そんな世界の作り込みもままならないのでせっかくのクロスオーバーがまぁ台無し。

 

『フリー・ガイ』(2021)のネタを延々とやってる感じがどうも滑っていて、せっかく自分が好きなキャラクターが出てもワクワクしないんですよね。あとMCUのキャストを意味もなく出すの辞めませんかね?他社キャラ出すならトゥースとラーヤとのコラボとか、シュレックとラルフとかのコラボなんかも見たかったけどな〜。

 

そんなグラグラした世界の上でやることが『ホットファズ』の劣化版って...。レスキューレンジャーズ自体が5匹揃って成り立ってる感じなのでチップとデールはあんまり相性よくないというか、彼らはドナルドとかといた方がよくて2人だけだと基本的に喧嘩しかしてないんですね。その辺ももの足りなかった。犬も最初しか出てこないし。あまりにも救いようがない非常に残念な一作でした。ディズニープラスでやる意味が全くわからないですね。ディズニー作品の歴史をある程度作品に取り入れてですね最近はミッキーとレースしてるとか、最近はクラリスがイメチェンした、とか他作品とも関連付けできますしね。パテ警部の人間とのバトルとガジェット以外は全部良くなかったですね。ツッコミどころを列挙するのもあれなのでこの辺にしときます。

私ときどきレッサーパンダキャス書き起こし

今夜の感想キャスは3月11日からDisney +で配信されている、ピクサー・アニメーション・スタジオ制作の新作映画『私ときどきレッサーパンダ』です。

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母親の前ではいつも真面目で努力家のメイだが、ある出来事が原因で本来の自分を見失い、感情をコントロールすることができなくなる。悩みを抱えたまま眠りに落ちた彼女が翌朝目を覚ますと、彼女はレッサーパンダに変身していた...

Yahoo!映画より抜粋

 

忘れもしません。『Bao』で第91回アカデミー賞短編アニメ映画賞を受賞したドミー・シーの長編初監督作品。主な声優にメイ役はロザリー・チアン。メイの母親役には『ラーヤと龍の王国』のヴィラーナ役もこの方で意地悪ママが似合うサンドラ・オーでございます。

 

ということで、『私ときどきレッサーパンダ』私は2回観ました。毎回映画館の様子も一緒に語るんですが『ソウルフル・ワールド』から続くピクサー新作配信スルーの風潮もあり、配信限定での公開になってしまいました。何回も観れるというメリットはありますがやっぱり映画館で観たかった。歌もそれなりに重要な要素ですからね。さらにこの映画はレッサーパンダを大画面で見たい!!!から動き出してますからね。残念です。

私のTLは概ね好評のようですが、今の30代前後の方というターゲットから外れれば外れるほど評価が分かれていってる感はあります。2002年が舞台なので初代プリキュアとかたまごっちとかの世代をターゲットにしてるのは間違いないと思います。ドミー・シー監督を中心としてクリエイター自体の実体験が色濃く出た作品です。その辺は現在配信中の『レッサーパンダを抱きしめて : 『私ときどきレッサーパンダ』メイキング映像 』という作品で確認できます。スケッチブックとかあの行動とかは全部実体験に基づいて作られた作品だったんだ!とわかります。

 

2004年生まれの男はどう観たのか...
結論、めちゃくちゃ面白かったです!!!

 

若干の温度差はあるかもですが、映画としてやっぱり面白いわけですよ。映画って元々生まれや境遇が全く異なる人物を映画を通して理解して楽しむものでしょ?!ピクサー第一弾はおもちゃですからね?!。とにかく興味深いと。監督は2歳に中国からカナダに渡ってきた方で、メイの中国系カナダ人という設定は監督譲りなんですね。エンリコ監督と同じくジブリフォロワーでもあると。日本の影響もそこかしこに確認できます。たまごっちとかね。まず、冒頭の第四の壁を突き破る感じからこの映画の空気感がわかるという(笑)。あれって要するに「私、月野うさぎ。14歳中2〜」のくだりってことですよね。セーラームーンの名前は監督も挙げていました。あの世界にグッと引き込まれる演出だと思います。設定の飲み込ませることにももちろん貢献してますし。ピクサー映画って設定複雑なものがあって『モンスターズ・インク』とかみんな当たり前にドアに入って驚かせてエネルギー作って...って説明できると思うんだけどまぁまぁ複雑ですからね?!それを自分の家のお寺を案内する仕事風景と結びつけて説明しちゃうスマートさ!秀逸ですね。そして漫画をそのままCGにしたようなビジュアル。私の大好きなエドガー・ライト作品のスピーディーさに近いですね。漫画原作の『スコット・ピルグリム vs. 邪悪な元カレ軍団』とかはその色が濃いので是非!!!集中線が入ったりコマのように分割された画面になったり目がキラキラになったりセーラームーンにもありましたし『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』とか『悪魔バスター★スター・バタフライ』にもこの描写ありましたね。『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』とか『あの夏のルカ』とか等身がねんどろいどくらいの、要するにリアルな7、8等身じゃない感じがまた良くて。レッサーパンダの荒唐無稽さを内包してくれている感じがして非常にいいと思います。別に手を抜いているわけじゃなくてモフモフ描写とかお料理描写はもちろんハイクオリティです。

 

原題『Turning Red』。”赤くなる“とか“赤化”という意味ですね。これはレッサーパンダを意味していますが同時に“恥”の感情になるという意味も込められていそうで、日本語でも赤面なんて言葉がありますからね。他にも赤はいろんな意味で象徴的に登場します。赤いお花とかね。今回は恥ずかしいという感情が逆に良いという珍しいパターンですね。こういうオタク描写が細部まで行き届いていて、たまごっちの名前がロベールジュニアって言う...(笑)キモいけどわかる!!!っていう思春期の恥ずかしさをえぐってくる恥ずかしい描写が全体に渡ってあるんですね。『ミラベルと魔法だらけの家』で僕が酷評した、「家族の集合写真に入れない」っていう主人公が劣等感を感じる無理矢理なシーンが今回はテーマ的にも合致していて現実的という。監督はレッサーパンダは思春期の暗喩だと語っています。レッサーパンダを発症させる元がお母さんですね。近年の「主人公が家族に苦しめられるもの」ディズニーアニメの系譜で、『リメンバー・ミー』とか『ミラベルと魔法だらけの家』とかやむなく部屋に押し込められる感じは『アナと雪の女王』なんかを連想します。以前評論した『ミラベルと魔法だらけの家』では家族写真に入れないっていうやりすぎな演出でしたが今回は美味かったですね。あとは親子ものとしてみなさん挙げている『グーフィー・ムービー ホリデーは最高!』とか『ロード・トリップ パパは誰にも止められない!』とか『ファインディング・ニモ』とかね。強引さはグーフィームービー譲りということで。最高なのがベッドの下のスケッチブックを「見ないで見ないで見ないで見ないで...」って念じながら汗がダラダラになって下を一瞬見ちゃうって言うあのシーン。漫画っぽいコミカルさと黒歴史を掘り返される恥ずかしさが最高でしたね。あとはナプキンのシーンも恥ずかしいものそしての認識があるのを利用したかなりとてつもない演出でしたよね。お母さんが自分の優等生としての一面しか見ていない。オタクの一面は断固拒否って言う構造があるあるというか。サブカルチャーとかオタクは市民権を得ていますがなかなか受け入れられない現状はありますよね。この映画はとにかく人間の2面性をテーマとしている作品ということが分かってきます。この軸があるだけでまぁ見やすい見やすい。友達と連むときの自分と母親の前での自分はおそらく違いますよね。

 

この関係が全部合わさると居心地がとっても悪くなるんですね。卒業式とかでも経験しました。親の前で友達と話しずらい感じはみなさん共通って事でいいですよね?!そういう人の2面性がかわいいかわいいレッサーパンダとして表現されていると。セーラームーンもそうですしがっつり僕が観た中で話すと『ミラキュラス レディバグ&シャノワール』の主人公マリネットみたいに、変身状態だとキャラが変わるという自分の力の解放としての機能もある。『悪魔バスター★スター・バタフライ』は変身じゃなくてミューニの歴史に触れることで自ら意識が変わっていってその間の母親との対峙が描かれる物語でした。レッサーパンダだったら母親に怒れるし逆にそのせいでライブに行けないというヒーローあるあるになると。決着をぼやかして言うと、『シュガー・ラッシュ:オンライン』のラストのモヤモヤが救われた感じがありました。とっても良かったです。ピクサーで不服に終わったであろう作品として『メリダとおそろしの森』があります。長編女性初監督作品になるはずだったやつですね。娘との関係を映画にしようと進行していましたがいろいろあって監督交代とバタバタがあって完成した作品。評価が悪い訳ではないですがリベンジ的な意味もあると思います。あれは母親が熊になっちゃってって言う話で変身繋がりでもあります。母親と娘の話に集約しすぎたっていうのもあるし、その割には打ち解けていく過程が残念というか。川遊びとか呑気にしてる場合じゃなくね?とか心変わり急じゃね?みたいな。それに大変申し訳ないんですが『ミラベルと魔法だらけの家』でノイズになっていた部分が無くなってものすごく見やすい家族地獄ものになっていました。お母さん悪者ってあんまなかったけどそれが自然な感じはありますよね。対立しがちという意味で。ミラベルはエンカントの中のマドリガル家、マドリガル家の中のミラベルという二重のフィルターがあってミラベルは二重の罪悪感を背負っているんですが実はそれはお姉さんも一緒で苦しんでいた、おばあちゃんはおばあちゃんでエンカントとしてのマドリガルの繁栄を重んじざる負えないことで苦しんでいる、ってことはこれ呪いじゃね?って話が『ミラベルと魔法だらけの家』だった訳ですね。それを断ち切るんじゃなくて更新していく物語だった訳です。これをマジで「呪い」として捉えたのが本作で、やっぱそっちの方が分かりやすくてしっくりくるんですよね。

 

「呪い」これは個性でもあって同時に邪魔な要素でもあるという割と不変的な話になっていると。どんな自分も自分として肯定してくれる話。なんでもいいですよ。アイドルは今でこそ市民権得てますが2002年の頃はおそらく恥ずかしいと思っていた人が多いんじゃないかな?好きならそれでいいんだけど...ね。アイドルライブに行くためにプレゼンをするところも面白いんですが、好きを好きと言っていい話。削除されてしまったシーンには追加して好きは好きでいいという前向きなメッセージがあったかもしれません。そんな自分の大好きだけど恥ずかしい一面をうまく描いています。好きなら好きと言っていいし、好きなら仲間になろうよという目線が入っている。私のフォロワーはディズニーか映画が好きな訳ですからね。4townが5人の理由が説明とかなしに納得させられる感じはすごいですね。あとは当然体の変化とか考え方の変化とかも大丈夫と言ってくれているというのもあると思いますね。

 

人間の2面性というテーマを浮き上がらせてくれるのがお父さんというのも良くて、設定上女性のメインキャラが多くなるのが必然な中で彼がミラベルのように話を聞いて寄り添える人になるという。お父さんはこういう場合大体ギャグキャラに徹するか有害な男性の象徴みたいに使われがちですが、ちょうどいいバランスで決める時にスパッと決めてくれるとってもいいキャラでした。敵対する存在にお母さんを置いたのも新鮮でしたね。ディズニー作品はファミリー層向けを意識してかお父さん特にお母さんは悪役じゃなくて大体上の代なんですよね。『リメンバー・ミー』、『ミラベルと魔法だらけの家』、『スター・ウォーズ スカイ・ウォーカーの夜明け』は全部親じゃなくて更に一個上の世代になってるけどこっちの方がノイズが減るんですよね。「父母は何してんの???」の目線のことですね。「集合写真に自分の娘がいないの気づかなかったんか???」ってことですね!!!(笑)さすが成長するバオとそれを見守るしかない母親の親離れの話でアカデミー賞をとったドミー・シー監督といった感じでしょうか。私の大好きなブリー・ラーソンとダスティン・ダニエル・クレットン監督コンビの『ショート・ターム』、『ガラスの城の約束』、『シャン・チー テン・リングスの伝説』とかも想起しました。『Bao』で最高だった2つの壁、関係うをぶっ壊すシーン。バクーーーーー!ですよ。初見は誰しも驚くあれですよ!今回ものすごく良くて、ロケーションにもこだわっている。メイの部屋をそのままメイの心の中とするならそこに誰が入ってくるのかとか。壁を挟んで覗き見している関係を思いっきりぶち壊すのは誰かなとか。女子トイレで話してたのが広々としたスタンドで話しているとか。同志しかいない開かれた空間を上から割り込んでくるとか。テーマを深掘りするような演出がたくさんあるのでぜひ注意してみてくださいね。

 

あと今回もディズニーに対する痛烈な描写がありましたね。『2分の1の魔法』では着ぐるみが燃えるっていう...。今回は商品展開から撮影会で稼ぐという。アイドルの稼ぎ方みたいなものを意識してるんでしょうけどグリ文化が強い日本のディズニーファンがみるとそれにしか見えないっていうね。

 

家族という呪いと人間の2面性をレッサーパンダに集約させ、親子の物語としてサブカルチャーを通して完成させ、どんな自分も自分というメッセージをストーレートに打ち出せる。女性初監督と持ち上げ、それならではのシーンもあって新鮮でしたが、ピクサーですからどん人物であろうと頭がものすごく良いしクリエイティブだしパーソナルな部分をエンタメ映画に昇華できるポテンシャルが十分に活かされた作品でした!

クルエラ感想

今夜の感想キャスはディズニー長編アニメーション映画『101匹わんちゃん』の悪役クルエラの物語で5月27日から劇場で、8月27日からは見放題で公開されている『クルエラ』です。

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物語の舞台は1970年代のロンドン。ファッションデザイナーの夢に向かって、身を削りながら働き続ける少女エステラ。彼女の運命は、伝説的なカリスマデザイナーのバロネスとの出会いによって大きく変わることに……。次第に狂気に染まっていくエステラは、“クルエラ”へと変貌していく。 

(シネマ・トゥデイより引用)

 

監督は『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』のクレイグ・ギレスピー。脚本は『女王陛下のお気に入り』のトニー・マクナマラと『ベガスの恋に勝つルール』のデイナ・フォックス。脚本の前段階のストーリー原案は『プラダを着た悪魔』のアライン・ブロッシュ・マッケンナと『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』が控えるケリー・マーセル。あとはスティーヴ・ジシスとかも参加してていろいろな人に揉みくちゃにされていますね。のちにクルエラとなるエステラを『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーン。バロネスをエマ・トンプソンが演じたということでございます。

 

ということで、もう『クルエラ』観たという方多いと思います。私もイオンシネマ千葉ニュータウンで吹替で1回、シネプレックス幕張で字幕で1回、あとこのタイミングでディズニー+で何回か見返しました。

 

前々からいい意味でのニュアンスで「ディズニーっぽくない!」とかいろいろ言われていて期待値が上がっていました。「ディズニーっぽくない!」に関しては一応ディズニー映画である(つまりファミリーで観ても大丈夫な)ことに落ち着いてはいるんですけどね。

 

はい、ということでご存知『101わんちゃん』に登場するクルエラ・ド・ヴィル。実は実写化は幾度かされていて、1997年の『101』ではグレン・クローズが演じていて、この方、今作ではプロデューサーとして携わっています。あとは『ディセンダント』ではウェンディ・ラクエル・ロビンソンが演じていますね。そして今回はエマ・ストーン。この方、成り上がりものがとにかく似合うって言う(笑)。そしてあんまり良くない結果に終わるっていう...。今作のクルエラは、宣伝では「白黒つけるのは私。」なんて堂々書いてありましたが、非常にグレーに作ってあるキャラですよね。これはエマ・ストーン自身が言及していたんですが、エステラはかなり白と黒の境界線を行ったり来たりするようなコインの裏と表では割り切れない、クルエラ何%エステラ何%という具合に演技に反映していると思います。

 

近年のディズニー、というか映画の流れ的にも、僕はこういう割り切り方で良いと思うんですが、いっちゃえば“悪役にも言い分があるんだ”系の作品であるといえると思います。その感じが取れるのは『オズ 始まりの戦い』(13)じゃないかなと。あとは有名なのが『マレフィセント』(14)と『マレフィセント2』(19)ですかね。僕は両方ともものすごく苦手で例えば一作目はマレフィセントを擬似的な母親と置くことで妖精がすごい嫌なやつになったり、単純にプリンセスとしての話が希薄になってしまっていたりする。あと、全く違う話と割り切っているのにあるシーンはアニメ版を完コピしました!ってなんでだよ!っていう(笑)。なのでそんなに好きじゃないんですが、その系統で1番上手くいったのはやはり同年公開のみなさんご存知『アナと雪の女王』(13)。エルサは元々悪役として設定されていたものをロペス夫妻が手掛けた楽曲「レット・イット・ゴー」があまりにもよくて、悪役ではなくアナのお姉さんにしたというアプローチ。日本では「ありのままの〜」というちょっと残念な訳され方をしてイメージがないと思いますが英語版だとヴィラン誕生ソングにちゃんとなっているので是非聞いていただきたいんですけど、これキャラクターを第一に考えた結果こうなったって言うことで、『マレフィセント』と同時期に公開されながらかなり意識が高い作りになっているという印象だったんですね。それは置いておいて雑にまとめるとこう言うことだと思います、『アナと雪の女王』はヴィランの誕生に対して周り、これはつまり妹のアナがどうするかの話、そして2はそれを踏まえた上でのそれぞれの選択...と言う感じだと思います。今作はどうだったかと言うと、ヴィラン誕生に対して自分がどうするかの話になっているんですね。それは後ほど言及します。

 

そしてそれらをまとめたのがクレイグ・ギレスピー監督。『アイ,トーニャ〜』の手腕が買われたのは間違いないと思いますが、先程列挙したようにさまざまなジャンルの映画を手がけていた人がカチッカチッといるべき場所、パフォーマンスを発揮できる場所にちゃんと配置されているのが今作のうまく行った要因の一つかなと。クレイグ・ギレスピー監督の過去作を振り返ってみると『ラースと、その彼女』とか『アイ,トーニャ〜』とか割と今作と同じような母親と私(主人公)の話だったりしたりする。『アイ,トーニャ〜』に関してはアメリカのいや、世界中の嫌われ者となったトーニャ・ハディングの話ですからね。あと10月ディズニー+で配信のディズニー映画『ザ・ブリザード』。この監督多分車が好き!(笑)最初のシーンが車から始まる。『フライト・ナイト 恐怖の夜』ではコリン・ファレル演じるヴァンパイアから逃げるために車内から轢き殺す一部始終を散ったりだとか、ディズニー+配信中『ミリオンダラー・アーム』でも車の中でのディズニー映画でも稀なゲロシーン、そして車を買い替えることで距離が縮まった感じを演出する。あと、異文化に触れると吐くっていう(笑)エマ・ストーンの『女王陛下のお気に入り』ともゲロモチーフで繋がってますね(笑)『アイ,トーニャ〜』のトーニャ・ハーディングが車好きだったり車の使い方がうまいんですよね。今回はバロネスを負かせる展開で畳み掛けるように車が使われる。例えばバロネスの過去のコレクションをごみ収集車と組み合わせて時代は古いとしたり、バロネス閉じ込めて車の上に乗ったり、名前の由来のド・ヴィルを無免許運転するシーンの縦横無尽さ。あと私が好きなシーンで言うとバロネスとエステラがパーティーに向かう途中で、バロネスが車内で紙の箱に入ったランチを何食わぬ顔でポイ捨てするシーン。あれは個人的お気に入りですね。

 

カメラワークも素晴らしんですよね。『アイ,トーニャ〜』で魅せたスケートシーンを接近したショットで臨場感あふれるシーンあるいは『ザ・ブリザード』の忙しなく乗組員が行き来してるタンカーを縦横無尽に駆け巡るショット、今回もリバティを天井からぐわーっと下がっていって1番下でトイレ掃除をしているエステラに移る場面。勝手にドアが開いたりしていってダークライド的な見せ方でもある。バロネスに会うまでとかを飽きさせずに巧みにカメラワークで魅せる監督さすがと言ったことろですね。この映画やはりバロネスをいかに出し抜くかが楽しいので前半は退屈してもおかしくないんですがそれでも面白い工夫がされている。なんだけど言っちゃえばそこがピークでそこからは終盤にかけて盛り上がりにかける部分はあると思います。仕方ないんですけどね。

 

内容に触れていくと、今作『クルエラ』は自分の中にあるアイデンティティ、つまり彼女の場合はヴィラン性とどう向き合うかの話だと思います。親を失ったことが関わる点では『アナと雪の女王』にも似ていますが、クルエラを隠して生きることからある事実が判明した時の解き放たれた感じっていうのは翼を失ったマレフィセントの暴力性とエレガントさを兼ね備える感じも持っている。ホーレスのコーンフレークを杖で落とすくだりとか最高ですが、あそこで今まで和やかだったムードがピリッとなる。クルエラなのかと思いきや、クルエラをエステラがやりに行ってるようにも見えるエマ・ストーンの演技が素晴らしい。そこから相手をファッションで負かしていく爽快さの見事さは必見ですね。ラストの展開はそれがあるからか、映画として別に問題ない手際の良さで作戦が進んでいくんですが、鈍重に感じてしまうのは仕方ない部分だと思います。それでも100点以上は確実に叩き出してる作品だと思います。

 

エンドロール後のあれはアニメ版のファンサービスということ、また続編への布石として僕は良いと思います。

 

クルエラへのリスペクトもたくさん入ってます。エステラがホテルで盗みをしてるシーンで客室で流れてる映画はヒッチコックの『救命艇』(44)。これ、登場アニメーターがクルエラの参考にした作品ですね。さらにそのシーンで着けているエステラの名札の名前は...?!とかね。とにかくリスペクトもしっかり入ってる作品です。

 

ディズニーの実写の中では間違いなく上位に入る素晴らしい作品でした。

『ミラベルと魔法だらけの家』感想キャスネタバレあり書き起こし

今夜の感想キャスはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメーション映画の記念すべき60作品目の『ミラベルと魔法だらけの家』です。

 

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魔法の力に包まれた、不思議な家に暮らすマドリガル家。
家族全員が家から与えられた“魔法のギフト(才能)”を持つ中で、少女ミラベルだけ何の魔法も使えなかった。

ある日、彼女は家に大きな”亀裂”があることに気づく─

(作品紹介・あらすじ・キャスト情報|ミラベルと魔法だらけの家|ディズニー公式から一部抜粋)

 

監督はバイロン・ハワードとジャレド・ブッシュの長編55作品目『ズートピア』コンビ。音楽は『tick, tick... BOOM!:チック、チック...ブーン!』で長編初監督デビューも果たし、ディズニーへの貢献度も計り知れない天才、リン=マニュエル・ミランダ。声優はステファニー・ベアトリスなどです。

 

ということで、原題『Encanto』。Google先生によると魅力という意味のスペイン語ですが、日本語タイトルは『ミラベルと魔法だらけの家』。よくある単語一文字パターンで「配給会社さんの心中お察しします。」といった感じなんですが、まずはやっぱりタイトル覚えてあげてね〜っと言った感じですね。『ミラベルと魔法の家』でも『アナベルの呪いの家』でもないですからね!(笑)『ミラベルと魔法“だらけ”の家』というのが正式なタイトルですが、吹き替えで1回観てまいりまいした。本当は字幕で観たかったんですよね。ディズニーのミュージカル映画は有名な話ですが、リップシンクを重視している関係で『アナと雪の女王』の「Let It Go」なんかは日本語だとヴィラン誕生ソングに受け取り辛い部分とか割と大事な部分の意味が異なってきてしまうという例だとか、『アナと雪の女王2』の「Some Things Never Change」の歌詞の内容量が違いすぎる例があったのでディズニーミュージカルアニメの新作となればどっちもマストなので、もっと(上映回数を)増やして欲しいっていうのはまず言っておきたいですね。ただ、今作は映画内に2ヶ国語、英語とスペイン語が使われている。スペイン語の楽曲に関しては日本語吹替でも字幕が出るという特殊な形態でしたのでそこの言語の違いみたいなものは把握できる、逆にスペイン語と英語の区別があんまりついてない俺にとっては逆に親切かもしれない作りなのはもっと評価されて良いような気もします。

 

全体的は評価は概ね好評と言った印象の反面、「期待値がそんなに高くない状態」で観にいったという人も多いのもまた事実かなといった感じです。あと実際に聴いて回ってみるとあまり良く思っていない人もちらほら。私はどうだったのかということでこの『ミラベルと魔法だらけの家』。

 

まず、タイトルの引っかかるのがやはり“だらけ“の部分だと思います。これは要するに、魔法のギフトを持っていないミラベルが内心感じている、持たざる者の辛さみたいな。”だらけ“って基本的にマイナスの意味で使われることが多いので、そう言ったニュアンスが込められていると思いますね。そして、そこよりも特に根深いテーマとなってくるのが”家“の要素ですね。『DUNE 砂の惑星』的でもあるし『スター・ウォーズ』的でもある家系に関する話で、舞台がほぼ家というのが特徴的ですね。家族の紹介ソング「ふしぎなマドリガル家」がもう最高ですね。マドリガル家のメンツがなんとなく歴代ディズニープリンセスに似てて、イサベラはジャスミンっぽいし、ペパは感情で天気変わっちゃうエルサ、アントニオの動物と話せるも良い例ですね。お母さんはラプンツェルですかね。ブルーノはシンバか『トゥモローランド』のフランク・ウォーカー、未来が見える装置を作ってトゥモローランドを追い出されたあいつかな?。誰とは言いませんがミゲルのひいひいじいさんが生きてたみたいな感じにも似てる。顔とか。そんでこの曲、たくさんいるキャラの紹介として申し分ない出際の良さ。リンマニュ繋がりで子どもに語る感じは『イン・ザ・ハイツ』に少し似てますね。いろんなギフトを持つ家族の中で1人だけギフトがないミラベルの「家族は誇らしげに語れるが、自分のことはノータッチ」なあの感じが絶妙。ミラベルの不憫さみたいなものともう一つ家の名前に気づかぬうちに縛られているという状況を暗に示している。マドリガルという看板を背負う家族の話がこの『ミラベルと魔法だらけの家』なんですね。

 

 これは監督自身語っている「自分の家族のことを私たちはどれだけ知っているのか?」という問いが重なってくる。ミラベルから見た家族はとっても良くない感じに描写されていて、観客もそれを追体験する構造。これ今やってる『ディア・エヴァン・ハンセン』とほぼ被っていて、あれは精神病を患っている主人公が実は自分以外にも悩みを抱えていると気づいて成長する話。きっかけは嘘、この嘘がはっきりこの作品の賛否を分けているんですが。ある嘘によって自分ではない偽りだけど理想的な自分になっていく展開が用意されていて、補完できる部分も多いと思います。本作もブルーノを追う過程において家族の悩みに触れ合う、文字通り心の扉を開いてのあの曲なんて展開もありますが。悩んでいるのは自分だけではないことに気づくようになる。

 

 ただ、『ディア〜』から差別化できるのはギフトという要素ですね。ギフト、つまり才能、それを持つことによる社会的な役割ってことで良いと思います。魔法によって与えられた“役割“と”本当に自分がやりたいこと”とか「大いなる力には大いなる責任が伴う」よろしくな“責任”の部分で葛藤していたということにミラベルが気づくことが大きなポイントになっている。例えばそれは現実世界でもたくさん置き換えが効く話。当然なんですが、ミラベルはギフトによって紐付けされた役割はないものの社会から見たらマジョリティ側で、家族内での非常にごく小規模な特殊な人たちの集団にいる主人公ならでは。この映画珍しいのは、ミラベルの主観でほぼ進んでいくんですね。それは、ミラベルが思っていることを観客に共有できるからですね。わざわざ言いませんが『アナと雪の女王』との共通点が多い本作。その中でも、違う部分はミラベルから見た、見えている家族が描写される。魔法で苦しんでいる様子、楽しいアナとエルサの葛藤みたいなものはミラベルからは当然見えないので序盤はイサベラは完璧だし、ルイーザはパワーで軽々ものを持ち上げて簡単に役に立っている。でも、ギフトがある方もない方も周りが思っている以上にプレッシャーを感じて悩む、誰も幸せになっていない悪循環が生まれているという全体像が把握できるようになると。それを断ち切れるのはミラベル。ブルーノの預言で写っていたのはまさに「全てを破壊し、全てを繋げ!」的な救世主の姿ミラベルだったのではと思いますね。あのラストの展開は役割の支配を断ち切って、家族の輪が社会に広がる。マドリガル家が抱え込んでいたものが社会全体に解き放つという意味だと思います。ミラベルは魔法がないからこそおばあちゃんとの対立関係になる。なぜなら、おばあちゃんはギフトを持ってないからですね。火を守るという、“役割”にずっと縛られていたのは実はおばあちゃんも同じだったというシーン。ラーヤ並みにカットが不自然なのは置いといて、素晴らしいシーンですよね。そしてミラベルはおばあちゃんと同じように家族を守ったという意味でこれも家族の話ですが、『魔法戦隊マジレンジャー』みたいに勇気に魔法が応えてギフトを授けると。これ、『チキン・リトル』的とも言える。チキン・リトルはチビでメガネでホラ吹きというレッテルまで貼られてるやつで、宇宙人を追っ払ったことで最後英雄になりますが、そんなことはどうでも良くて、父親の信頼を取り戻せたことが何より幸せだった。名誉の回復じゃなくて父親に認められたという部分そして、自分を信じてほんの少しの勇気を持って生きていくことが、周囲の信頼を得て、自分に自信が持てるということを彼は学ぶんですよ。ミラベルはさらにそこに周りの人々の考えも入っている。ミラベルが黄緑色のメガネしてるのは見るという意味と別にチキン・リトルのやり直しだったんですよ!なんのギフトかがわからないのはそれは観客自身が映画館を出た後に実感していくものとしてではないかなと思います。もしくは、他人と関わることでさっき言った全てを繋ぐ才能が自ずと付いていき魔法を授かったとも取れる。マジレンジャー的に言うならば家族を守ろうとするミラベルの勇気に魔法が応えた!ってことですね。魔法が与えられることそもそもどうなのか問題はありますが、おばあちゃんの魔法はないけど家族を育てて繁栄させたということと、母親の魔法による貢献の折衷としての存在。後で話す短編ともテーマ的に重なる。誰も否定しない姿勢が素晴らしい。10年のWDAS長編映画の特別な能力を持つ主人公シリーズに加えて00年代の普通の主人公シリーズとを同居させたという意味で貴重な作品だと思います。

 

あと曲。ブルーノの曲「秘密のブルーノ」が大きな伏線になっていて、ぶどうとか声が聞こえるとか今後の展開を示唆する内容になっている。イサベラとの仲直りソング「本当のわたし」が個人的に1番好きですね。「増していくプレッシャー」なんかはミュージックビデオっぽい。クリストフの「Lost  in  the Woods」的なバカっぽさ含めて見所です。だだ、全部の曲いいんですが、ミュージカルシーンがちょっとね...。例えばさっき言った「不思議なマドリガル家」。最高なんですよ?朝起きてミラベルが机にお皿並べて。みんなが起きる前なのに。頑張ってる!って感じで。カシータも階段のシーンとか組み上がる感じがフォートナイトっぽい感じで最高。イサベラの紹介かと思ったらミラベルが立ってたところが持ち上がってルイーサが橋を持ち上げてる!っとか視線の誘導最高なんですが。この曲を歌うのは基本的にはミラベルとおばあちゃん。街の人と子どもはエキストラとして基本的にはこの2人。おばあちゃんパートは「役割」についてのパートがちょっと挟まる。この曲の終わり際は純粋無垢であるからこその忖度なしの質問、「ミラベルのギフトは?」と聴き、ミラベルコール。「ミラベル!ミラベル!ミラベル!」となるんですがそこでおばあちゃんの叱るような声「「「ミラベル!」」」って言ってサントラでは終わってるんですけど、その後。「あなた何してるの?!」っていうんですよ。お前さっきまで「みんなのために魔法を使いましょ」とか歌ってただろ!とか。

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これまた1番好きな曲「本当のわたし」という曲で、イサベラの悩みが解放されるいい曲で、ミラベルも歌うという仲直りソングでもあるんですが。これ、最初はイサベラの部屋の中なんですがどんどん家の外を縦横無尽に駆け巡る非常に盛り上がるシーンなんですが、それを俯瞰して見てるやつが...。おばあちゃんが見てる!!!歌ってるところを見てる!!!これKH3のアナ雪と同じ。レリゴーをソラ一行が見てる!!!それってどうなのよ!!!とかね。まぁ重箱重箱。(ユウユの補足12/28 『アベンジャーズ エンドゲーム』の『ガーディアン〜』のオープニングに対するメタ視点)

 

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短編のについて!

『ツリーから離れて』というアライグマ親子を描いた作品。動物が喋らない系、『ひな鳥の冒険』のような習性に基づく苦難を乗り越える話。厳しいお父さんの教えを次の世代にどう繋ぐか?の物語。ミラベルと同じようにそれまでのやり方を踏襲して、新しい方法や価値観を提示していくという動物っぽい物語でした。短編とのリンクは毎回見所です。

 

 たしかに、ミラベルは粗も目立つし手放しで面白いと言えるかと言ったらそんなことはないですが60作品目の節目の大事な作品なので年内に配信されるらしいですが、行けるなら絶対に映画館で見た方が良い作品です。

ジャングル・クルーズ感想

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今夜の感想キャスは7月29日に劇場公開そして30日からはディズニープラスで配信公開もされている『ジャングル・クルーズ』です。

 

カリフォルニア、アナハイムのディズニーランド開園当時からあるアトラクション「ジャングル・クルーズ」の実写化映画。手にした者は、永遠の命を手にすると言われている月の涙を探すため、博士のリリーとその弟マクレガーは船長フランクと共にアマゾンの大自然に挑む。

 

リリー役はディズニー映画常連のエミリー・ブラント、マグレガー役には僕の好きな映画『くるみ割り人形と秘密の王国』のギャグ担当の2人のうちの1人を演じたジャック・ホワイト・ホール、フランク役にはロック様ことドウェイン・ジョンソン、プロデューサーもやってるとのこと。脇を固めるのはマット・デイモンのそっくりさんで知られるジェシー・プレモンスやエドガー・ラミレスとのことです。

 

ということで私は30日にいつものイオンシネマ幕張新都心のULTIRAの8番スクリーン、Dolby Atmosで鑑賞してきました。夕方に一回のみのDolby Atmos仕様の上映だったんですが半分は入っていたかなという感じでしたね。『ブラック・ウィドウ』の際も同じ状況で鑑賞したんですがその時はやはり満席だったのでちょっと寂しいというか、盛り上がっていない印象を受けますね。パンフレットも発売されていないということでやる気のなさも感じられますね。

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本作は2020年には上映も決まっていたんですが、言わずもがなコロナ禍の影響受けて、その流れを経てもなお、劇場公開に至った数少ない貴重な作品になるんですね。(実際に『ムーラン』、『アルテミスと妖精の身代金』、『ゴリラのアイヴァン』、事実上ブルースカイ・スタジオ最後の作品になる『スパイ in デンジャー』などは劇場公開を逃した。)

 

これはなぜ生き残れたかという勝手な私の想像なんですが、おそらく『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち』(03)の大成功により5作目となる『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』(17)まで製作される人気シリーズになったことは言うまでもないですが、「ファンタスティック・ビースト」シリーズを降板させられる事態にまで影響したジョニー・デップのDV騒動やそれとは別にジェリー・ブラッカイマー・フィルムズとのファーストルック契約が既に終了していることを踏まえるとシリーズの続行はかなり難しそうな雰囲気なのでここは新しい実写シリーズを立ち上げたいという思惑があったのではないかと思いますね。『アルテミスと妖精の身代金』(20)は配信スルーにしてしまったのでかなりここに賭けていると思います。

 

『ジャングル・クルーズ』は、木曜日夜の試写会ですでに270万ドルの興行収入を叩き出しており、公開初日を終えた時点で、推定1,200万ドルから1,300万ドルの収益を見込んでいる。この金額は、ディズニープラスで公開され、初日に770万ドルの収益を出した『クルエラ』を大幅に上回っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b997d7a0e2910c3a1376ca85217a1e6c2ea6599]から引用。

 

現時点での成績でいうと良い方ではあるので続編の可能性は普通にありそうなんですよね。

 

では実際中身はどうだったのかというお話。

 

以下ネタバレをするので観ていない方は是非映画館あるいは画質はポンコツですがプレミアムアクセスで観てくださいね〜(笑)

 

今作は冒頭で述べた通りアトラクションの映画化企画なんですよね。『パイレーツ・オブ〜』や『カントリーベアーズ』(02)や『ホーンテッドマンション』(04)なんかが既にありますがどれもアトラクションと同じストーリーというよりは名前を借りただけの別物という位置付けだと認識しております。今作もその路線ではあるんですが同時にアトラクションからの引用は多くて思わずニヤリとするシーンが多かった。ちなみに逆輸入的に劇中に登場した地図とかは向こうのジャングル・クルーズに飾ってあるらしいんですね。『ホーンテッドマンション』にもマダム・レオタとかアトラクションの一部分を持ってくることはあったんですがウォルト・ディズニーイマジニアリングが参戦しているということもありまさにアトラクションの映画化という感じでしたね。ハワイではあるもののディズニー史上最大といわれる巨大なセットに加え実際にボートを走らせて撮影したというアプローチはブラッカイマーそのものやアトラクションの作りに寄せているんですね。これは『アフリカの女王』とかにも通じてくる話なんですがどの辺がどうだったと説明するにはアトラクションの歴史とかを参照すると非常にわかりやすいので今配信されている『ディズニーパークの裏側 〜進化し続けるアトラクション〜』がものすごくテンポ良く纏まっているので、1話はまさにジャングル・クルーズの回なので「それを見てください」って感じなんで(笑)、「是非、ご覧ください!!!」(笑)。ここで改めて話すよりはやっぱりそっちを観た方が面白いのでね...。まぁわかりやすいところで言うとフランクやリリーがエンジンを蹴るという動作はもろ『アフリカの女王』だったり、「トゥルー・ライフ・アドベンチャー」が元だから映画を撮るシーンがわざわざあるんだって言う気づきとかがあると思うんで観てくださいね〜。

 

では、それ以外の話をしたいと思います。今作でとてもフレッシュだった部分はそこにアトラクションがあるということですね。アトラクションそのものがジャングル・ナビゲーションカンパニー運営するジャングル・クルーズというツアーという設定なので割ときっちりシステム化されたアトラクション設定なんですね。「スター・ツアーズ」とか「タワー・オブ・テラー」のような、ゲストがあくまでもゲストとして体験できるアトラクションなんですよね。なのでアトラクションの一部始終を丸々映像化しても問題ないと。そしてその描き方が若干の自虐的でもある。開園当初からあるアトラクションなだけに最近は問題視され、リニューアルがもう目前に迫っているというアトラクションでもある「ジャングル・クルーズ」。こんな記事がありまして、日経ビジネスさんの記事によると(記事を読む)

原住民が“原始的で野蛮な首狩り族”として描かれてきたのだ。

 具体的には、その犠牲者とみられるしゃれこうべが集落に飾られていたり、威嚇するようにやりを振りかざしていたりした。こうした部分について、ディズニー側は「(刷新後は)これまでより正確に世界の多様性を映し出し、その価値を伝える内容になる」と説明する。

66年目の大改修 米ディズニー「ジャングルクルーズ」の問題部分:日経ビジネス電子版より引用。

と書かれていて映画版には登場しないと思っていたんですが、実はフランクが仕込んだそういった怖いイメージの部族という我々の先入観を裏切ってくる使い方でこれはうまいと思いましたね。ただ、裏切る展開をもう少し徹底して欲しかったですね。プロクシマがフランクとグルであることはすぐ見せないで引っ張るとか他にもいろいろあるんですが、置いておいて。要する反省の意味があると思いますね。あの使い方は。裏切りでいうとフランクが落ちる動作を多用するところはディズニーが比較的高いところから落とすことでそれは死を意味して敵を倒したことにしがちということのカウンターになっていますね。

 

偏見という話でいうとやっーとメインキャストの話をするんですが(笑)、リリーのキャラがやはり印象的。パンツを履いているだけで周りから変な目で見られ、男性である弟という立場を使わないと(おそらく)冒頭から流れる説明すらさせてもらえないという当時の不条理が突きつけられているという状況とそれでも月の涙を手に入れたいという願望が伝わってくるんですよね。ただ、月の涙がなぜ必要なのかが薄かったように思いますが。リリーの父親の死因とかに結びつけたらもっとすんなり入ってると思うんですけどね。まぁ『ナショナル・トレジャー』(05)のニコラス・ケイジ演じるベン・ゲイツとか(演説から始まる冒頭は2作目に似ている)『アトランティス 失われた帝国』(01)のマイロ・サッチごか科学者が突拍子もないことを言うと誰も信じてくれないというのはあるあるではあって、スタジオライカ作品『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』(20)は逆にこれが男性社会の有害さを描く方向もあるのでチェックしていただきたいんですけれども...。ちなみにリリーがよくやる鍵を開けるという動作は大事になってくると言おうと思ったら最後の大仕掛けはレバーを下げるだけっていうね...。それは置いておいてリリーのキャラのいわゆる女性的な偏見の部分は弟のキャラのフリになっていてそこがギャグ要素になってるんですよね。見た目外しギャクと言いますか、例えばフランクの船にすごい大荷物を運ぼうとしてるヤツはマグレガーだった!みたいな。(これはこれで過剰な表現だとは思いますが)。リリーの弟マグレガーに関してはジャングルにぶっちゃけ向いてないやつってことで今回も面白いんですがやはり中盤で明かされる告白は公開のかなり前から話題になっていましたね。THE RIVERさんの記事によると(記事を読む)

このキャラクターはディズニー映画において、史上初めて本格的に登場するゲイのキャラクターとなるだろう。実写版『美女と野獣』(2017)でジョシュ・ギャッドが演じたル・フウはゲイという設定だったが、物語上その設定がきちんと示されることはほとんどなかったのである。

(中略)

本件は、真実が明らかになる以前から、インターネット上で早くも大きな物議を醸すこととなってしまった。大きなポイントは、この人物を演じる俳優・コメディアンのジャック・ホワイトホールが異性愛者であることだ。

https://theriver.jp/jungle-cruise-gay-report/より引用。

ということでディズニー映画ではDisney +配信の『殻を破る』が記憶に新しいですが、劇中ではっきりとゲイであることが示唆されるというキャラクターは劇場公開用のディズニー映画では初めてといえると。ここで問題になってくるのは、そのキャラクターの存在意義ですよね。私はこの映画が貫く一つのテーマ性に関係するので、反対意見はあるもののストーリー上は必然性のある設定だったと思います。この映画のテーマの一つには孤独があると思います。監督のジャウム・コレット=セラは主人公を孤独にしがちと言う傾向がある。例えば『アンノウン』(11)であれば交通事故に遭った主人公が眠りから覚めると、身分を証明するパスポートやらなんやらが全部なくなっていて、出席するはずだった奥さんは別の人とパーティーに出ていて、お相手は自分の名前を名乗る人物で、経歴も肩書きもそっくりそのままで自分という存在が目の前にいる、つまり主人公が世間的に孤独になる映画なんですよね。わかりやすいところで言うとA級サメ『ロスト・バケーション』(16)なんかは1人でサメと戦う一部始終を1時間半やる映画でした。

 

孤独でいうとやはりドウェイン・ジョンソン演じるフランクが超孤独キャラだったていうね...(笑)。400年もジャングル・クルーズやっているという呪われた船長...。もうここまで来るとかわいくなってきますね。400年間「滝の裏側でーす!」なんてやってたんですから(笑)。シュバイツァーの滝みたいなのじゃなくて水路みたいなやつでしたが。ということで、女性の博士である、性的思考で親から勘当されてしまった弟、400年ジャングル・クルーズの刑になったマッチョ、このフランクのキャラが歴史そのものを体現してるようにも思えますが、この訳ありな3人が結束して歴史の残骸アギームたちに立ち向かう構造になっていてなにとは言いませんが過去の亡霊と対峙するという最近のディズニー映画のトレンドをよくも悪くも捉えているんですよね。

 

ただ、ヴィランの魅力という部分が少し弱いかなという気もします。ドイツの王子さまであるヨアヒム。演じたジェシー・プレモンスさんもう少し大袈裟でも良かったと思います『TENET テネット』(20)のケネス・ブラナー演じるセイターのあの感じとか、ドイツで言えばそれこそ『ジョジョ・ラビット』のタイカ・ワイティティ演じるヒトラーみたいにするとか、冷酷って訳でもないし微妙な演技なんですよね。脚本の悪さも影響してると思いますが。アギーレも蛇がうにょうにょまとわりついて(『悪魔バスター★スター・バタフライ』の)ロンビュラスよりも使いこなしていましたが彼の目的って娘の病気を治すためなんですよね。でも呪われて400年間石だった訳で蛇とかはいわゆるフライングダッチマン号でビル・ターナーの顔にヒトデがついてるみたいな感じだと思うんですが、そこには親子の物語つまり今回なら娘と父の話がアギーレというキャラクターの背景に横たわっているんですが、だったら復活した時に絶望するとかそういう厚みを持たせるような描写が少なくなんか気持ち悪いだけのヴィランになってしまった。彼が花を奪いに行く意味があまりわからないんですよね。特にヨアヒムとの仲の良さとかあるいは裏切りの匂いとかそういう描写もなくどう連携とってるかもちょっと物足りない。蜂が連絡係な部分は面白いですけどね。でも両者ともキャラクターの深掘りがないので終盤まで何だかなーという感じ。『パイレーツ〜』であればバルボッサという腐れ縁を一作目から思わせるキャラクターの作り込み、デイヴィ・ジョーンズならあんなタコみたいな見た目ですけどピアノという小道具と哀しげに響くその音で感情だとかが伝わってくるし、いかにパイレーツが面白かったかが際立ってしまうという...。小道具の面白さも少ないですからね。向こうは一発が込められた銃とか北を指さないコンパスとか一枚の金貨とか。『ナショナル〜』だったらそれが独立宣言者からメガネからお札やらだった訳ですよ。『アフリカの女王』だったらそれはボイラー、スクリュー、お酒、魚雷だったりするのでね。

 

アクションもカットが多い上に暗いところでCGの動機もよくわからない敵が絡まったりしてくる訳ですよ。フランクが剣振り回してると思ったら次のカットでは両手何も持ってないまま首絞められてるとか「ん?」ってなるシーンも多い。出港するときの派手なアクションとか無駄に潜水艦が乗り上げるシーンとかそういう大掛かりなシーンがもっと観たかったですね。乗り上げた潜水艦はそのあと普通に出てくるのも笑っちゃいましたが。

 

全体的には意外な展開の連続で楽しいですが終盤に行くにつれて謎が増えていくのとキャラの描き不足による薄っぺらさが目立ってしまう一作だなと思いました。あと、『パイレーツ〜』同様月の光がキーポイントなんですがそれの使い方も一応のタイムリミットにはなっているんですがその設定をあまり意識せずに物語が進むので取ってつけたようだし視覚的にはまんま『カラー・アウト・オブ・スペース ー遭遇ー』(20)って感じで本来なら2020年の夏はマゼンタに染まっていたという...。『パイレーツ〜』の月明かりに照らされると骸骨の見た目になるというアクションと視覚的、画面全体の面白さが素晴らしいんですがそういう感じでもないという。そしてあれは結局フランクに使うという。フランクは運命に身を任せこの世から引退する旨を話していたのに「なんで?」。一枚しかないのに。というか一人一枚なんですかあれって。繁殖させて増やすんならその後でまたあそこに戻ってくるようにすれば続編も作りやすかったのでは?

 

設定とキャラクターの深掘りが浅いので飲み込みづらく面白さが薄まってしまっている。アトラクションの映画化にして斬新だった部分もありましたがその分もう少し面白く出来たのにというもったいない作品でした。

 

以上です!

『ラーヤと龍の王国』感想(ネタバレあり)キャス書き起こし

注:多少端折っています、多少情報を追加しています

 

オンエア音声はこちら↓

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今夜の感想キャスはディズニーアニメーションスタジオの最新作で3月5日から劇場公開と配信サービスDisney+プレミアムアクセスにて同時公開されたこの作品『ラーヤと龍の王国』

 

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邪悪な魔物“ドルーン”によって脅かされた龍の王国を舞台に、聖なる龍の力が宿るという石を守る一族に生まれた少女ラーヤが世界を救うため旅に出る。監督は『くまのプーさん』、『ベイマックス』のドン・ホールと『ブラインドスポッティング』のカルロス・ロペス・エストラーダ、主人公のラーヤを演じるのは『スターウォーズ 最後のジェダイ』で初登場したローズ役で知られるケリー・マリー・トラン。


という事でもう既に公開から時間が経っておりますけれどもかなりの絶賛の声がとにかく多く届いていて期待は高まっていた、特に僕のフォロワーさんで何度もコラボキャスをしているKENTAさんがもう大絶賛してて、ラーヤ宣伝大使を自称していた時期もあったりして(笑)とにかくテンション上げ上げの状態で観に行って参りました。シネマイクスピアリで観たっていうのもあるのかな、公開から時間が経っているのにも関わらず満席でビックリ。ラストのひと席をギリギリ確保できたのですが、なんと今回人生で初めてA列の席で観るという体験をしました(笑)

 

今回その、ディズニープリンセス映画としてカウントされる映画なんですよね。去年の5月にキャスはやりましたが要するに『アナと雪の女王2』が「恋愛、結婚というプリンセスものなら必ずと言っていいほど登場するイニシエーション(それが障壁としてなのか夢の実現なのかは様々ですが)そういうテーマに決着をつけたのがアナ雪と雪の女王2だった」という話を長々したんですが、あと『シュガー・ラッシュ オンライン』なんかでもセルフパロディ的な弄りがあって一通りその話は終わったという話をしてですね“じゃあラーヤはどうするのか”みたいな今思えば、視野の狭いことを言っていたわけですが、今作は冒険映画にシフトしたして恋愛というテーマは一切出さないという方向性になっていると。じゃあ「今回のテーマはなんなのか?」ということですが料理や龍、贈り物が一つのキーワードにして、そこから個人の意識の変化が徐々に繋がっていき信じる心がどんどん広まっていってそういうもののパワーを提示していく非常に今日的テーマになっているかなと。内容がとにかく大きいのでストーリーのテンポ感がだいぶ速い。冒頭はラーヤがアルマジロダンゴムシを足したようなトゥクトゥク、声優はあのアラン・テュディックさんですけれどもそのトゥクトゥクに乗ってテールを駆け抜けて行って石にされた人々を横目になぜこうなったのかという説明を切り絵風に結構きっちり目の説明する。幼少期時代のシーンもかなり駆け足で例えばラーヤとナマーリの子どもだけで石のところに行くところも罠の描写を飛ばしたりとか裏切りがあって花火が上がってその後もすぐに他の人たちが石のとこまで行く部分を丸々カットしていたりとかかと思えばドルーンを解き放った後にお父さんと逃げなきゃってことになるんだけど石の所から橋の上までカットしていたりとか異常な速さで驚きでしたね。でも駆け抜ける中でもしっかり伏線なんかも積み上げてたりもするので本当に目が離せない。また、最近のディズニーアニメーションでは十八番でもある信頼していた人が裏切るという展開を序盤でやってしまうあたりも新鮮かなと。そこから話が戻って砂漠のシーンで人影を見てすっと剣を抜くんですよねラーヤが映し出されて誰も信じれない世界でラーヤ自身の性格も変わったことがここでわかる。シスーと出会って徐々にコメディとシリアスを行き来するようなバランスになっていくんですが。そして、シスーの登場シーン。『アナと雪の女王2』的な船の中から特殊な雫の模様を描いて登場していてこれ終盤の龍が復活するときにも同じようになるんですが、伝説にもなっている龍が実はどこか抜けているおちゃらけた人なだったシーン。そこで一気にキツキツだった空気感から一変してコメディ的な面白さになっていく非常にここ『ベイマックス』的な面白さが入ってくると。ちなみにシスーの声は『フェアウェル』でゴールデングローブ賞の主演女優賞をとったオークワフィナさんで、めちゃくちゃ人間のシスーに似てるんでチェックしてもらいたいんですが、ちなみにこの人実写版のリトル・マーメイドでスカットルを演じるとの報道もあったりして今後の活躍も楽しみなんですが、この方ラップもやってらっしゃって作中でも唐突に披露されたりしますけどジョークに小犬とかさっき言ったラップとかを出してきてジーニー的な時代無視ジョークも入ってくる。それを後押しするかのようにオナラする虫とか船で急いで出発しないといけないシーンで船がビックリするくらい遅いみたいな『くまのプーさん』的な外した笑いが入るのも隙がないところ。巡っていく舞台の話をしておきますと今回の舞台はクマンドラマという王国。5つの国に分かれててしまって5個の独立したそして敵対した国々をひとつひとつ世界観を構築していったということで、やはりこれ製作に関わっているオスナット・シューラーさんが「5本の映画をデザインするようなものだ。」と言っている通り本当に大変なことなんですが、これちなみに龍の形の川があってそこの龍の部位によって名前がつけられているので名前で地図のどの辺かが想像できる仕組みだったりするんですが日本人にはちょっとわかりにくい感は否めないかなと。スパインとか背骨って意味だったりするんですけどね。それぞれの国の特徴を活かしたデザイン設計になっていて例えばタロン国は水をイメージした丸みを帯びたデザインだったりファング国だったら巨大な力を連想させるってことででかい建物がどかんどかんと建っていたりする。やっぱり今回も制作陣は東南アジアにリサーチを敢行したという事しっかり調査していると。あとその脚本を担当したクイ・グエンさんとアデム・リムさん両方アジア系アメリカ人で現地にルーツがある人が担当していたりする。あと、それぞれの国にそれぞれの特徴がある楽しさこれはこのキャスでも何回も紹介している『くるみ割り人形と秘密の王国』なんかもそうだったんですがあれの残念だった点で挙げた「4つの国が登場するが物語上ほとんど登場しないというポテンシャルを活かせていない作りな点」が今作では見事に表現されており「俺の観たかったくるみ割り人形はこれだ!」と思わず思った次第でございますけれども(笑)あとびっくりしたのが今回音楽を担当されてるジェームズ・ニュートン・ハワードさんは『くるみ割り人形と秘密の王国』の音楽も担当されていて意外なところで繋がっていたりするんですよね。そしていろいろ旅をしていくうちに仲間が増えていって話を聞いていくと家族を失ったことによる恐怖と悩みに囚われているのは自分だけではないことがわかっていく。知らなかった一面を知ることで共通点を見出していくような感じ。そしてナマーリとの最初の戦いのシーン、ここがやはりテンションが上がる部分ですよね。プリンセス対プリンセスだし、因縁の相手なのでいろいろドラマがある戦いになっている。やっぱここで一番印象的なのがシスーを見た時のナマーリの目の感じというか強面なんだけどどこかあの頃を思いですような『ソウルフル・ワールド』的に言うときらめきを思い出したような表情がなんとも絶妙。この辺から裏の主人公ナマーリとしての展開になっていってさらに違う一面が見えてくる。ナマーリ自身も石のかけらを集めて元に戻したいと思っていて意見が共通しているんですが、母親のヴィラーナとも敵対している。彼女は劇中で自分のことをそうやって言っていましたが計算高い生き方をしていて例えば最初に石の取り合いをする場面で自分は動かず手下の男に取らせたりとか自分はリスクを冒さなような生き方をしていて、もし人々が石から解放されたら潰されるのは自分だという先読みまでしている。結構ディズニーアニメーションでは珍しい実の母との敵対。『メリダとおそろしの森』なんかもありましたけど、ヴィラーナさんも実は恨みを買って攻め込まれてしまうリスクがなければもしかしたら平和になることを望んでいるような気もしなくもないと言うキャラクターで、彼女の掘り下げがもうちょっと観たかったですし、あっても良かったんではないかなと思いますけどね。ここの流れ特にラーヤ側の仲間でも最大の敵としてファング国を嫌っている、「全ての元凶はあいつだ」と狙いを一つに定めているわけですけれどもあのファング国でさえも一つのクマンドラマになるということは望んでいるんだけど人同士の感情だったりが渦巻いてどうもその方向性に行きつかないという現状が見えてくる。クロスボウ信じない心の象徴じゃないかなとも思っていて振り返ってみるとお父さんが殺されかけたのもそう、ファングがスパインに攻め込もうとした時もそう、石のかけら交渉もそう。逆に料理というものが信じる心の象徴だったりして、美味しくない一人で作ったエビみたいな食物のいじりがとにかく多かったと感じたんですがだからこそみんなで食べるあのスープ、5つの国の作物を全て入れて初めて美味しくなるあのスープが凄い意味を持っていて、信じる心のパワーを実感できるアイテムだったりする。一つでも材料が欠けちゃいけないあのスープ!作り手も食事シーンは結構大事だよと言っているのでね。それで言うと『プリンセスと魔法のキス』のガンボスープを思い出しましたが。でも、ナマーリがシスーを撃ってしまう。このシーン確かに武器を出したのはナマーリなんですがかなり迷っていてシスーが説得しようとしているんだけどラーヤが剣を抜いたから発射してしまってともう誰が悪いかわからない。なんだけど、シスーが死んだという最悪の状況でラーヤ怒りという感情を露わにして、シスの復讐のアナキン並みに一気にダークサイドに引き込まれたかのように変貌していく怖さがよく映し出されていて、表情とか含めてやっぱりどっちが敵かわからなくなってくる。ラーヤが正気に戻るシーン。ここで、剣に映った自分を見るんですがこれ最初の裏切りの時にお父さんが剣に映った自分あとラーヤを見て剣を収めて、説得しようとするシーンと重なってるのが上手いんですよね。そして、シスーの時と同じようにラーヤを筆頭にドルーンによって一度は飲み込まれてしまうシーン。ここラーヤで次にテールの少年ブーンが、ここよく見るとラーヤに寄り添ってる、彼のお姉ちゃんのエピソードとここがリンクしてくると。スパインのトングはタロンのノイっていう赤ちゃんをこう手に抱えてたりして家族愛的な温もり、たとえ本当の家族じゃなくても信じる心というテーマと繋がっているようにもとれるし、振り返ってみるとシスーはなぜ自分が選ばれたか良くわかっていませんでしたけど誰よりも信じる力が強かったという思いを託されたんでしょう、その結果彼女だけが伝説に残ったわけですよ。ここにラーヤを重ねると名もなき者たちがナマーリに思いを託すという構造になっている。このシーン各国のプリンス、プリンセスの方が絵面的には良さそうですがあえて端の方にいる名もなき人たちを輝かせるということによって映画作り的ひいては集団で何かをすることに対することへのアンサーともとれるようないろんな解釈ができるシーンだと思います。いろんな違う出身の人々が力を合わせる展開は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』的でもあるという指摘もあって勉強不足で申し訳ないですが観た人は連想せずにはいられないと言うことで。ちなみに元々ガーディアンズのメンバーは違うマーベルのアメコミ出身だったりしてメタ的にもそういう側面はあったりしますがね。終盤もテンポが異常なんですがそれでめでたしめでたしというわけでございます!ヴィラーナさん有耶無耶になってないって話ですが僕はもう彼女を信じるしかないということで(笑)いやー、だからこれクマンドラマを合衆国という昔からの体裁なんだけど明らかに分断しているアメリカ、リベラル派対保守派の対立をさらに複雑にして両方を嘲笑ってみせた『ザ・ハント』とかも作られましたがそういう見方もできるし、コロナ禍関連のいろんな事件とかとも特にアジア人差別とかありましたからそういうの良くないよねみたいな見方もできるだろうし、というかドルーンは疫病という説明がありましたからもうコロナでしょ!っとまぁ、そんな今に確かなメッセージ性を与えるような映画だなと。あとはやっぱりキャスティングですよね。ケリー・マリー・トランさんは人種とか容姿とかローズ関連のキャラを超えた本人への誹謗中傷とかで完全にラーヤ状態になっていた、例えばスター・ウォーズ以降の依頼は殆どキャンセルしたりしていたりする。でも、ラーヤのオファーを受け入れたあたりは少なくとも作品のパワーを信じてのことなのでしょう。ちなみにこのキャスティングの前にキャシー・スティールさんが起用されていたんだけどラーヤのキャラクターを当初はストイックな一匹狼から例えでスター・ロードを出していてここでもガーディアンズか、と思いますがこのイメージ変更があったため声優も変更されたとのことです。あとはこれは公開前から話題になってましたけどスタッフ400名余りがリモートで殆ど完成させたというあたりも物語と繋がってくる、今見るべきな作品なのは間違い無いでしょう。ただ、キャッシュレス批判とも取れるツケ払い危険だよね描写とか、確かに後払いのシステムは相手を信頼していないとできないことというのはわかるんだけどそれいるかな〜。あと、シスーが激辛なやつを食った後に不自然にナマーリのシーンに切り替わったりと気になる点がないわけではない。ヴィラーナさんの掘り下げはどうしても欲しかったかなと。あと、ここ一番の違和感で言えば人を信じることという非常に人間の心に訴えかけるメッセージ性なんだけどナマーリにそれを託すシーンでラーヤはいいとしても他の人が空気を読んでやってる感が否めないかな。あと、世間からするとミュージカルじゃないところがかなり突っ込まれていたり、公開規模がディズニー映画にしては狭かったり、相変わらずのフォント問題、といろいろありますがやっぱり埋もれてしまうのは非常にもったいない!これ6月には追加料金なしで観られるということなので知名度上げてもっと盛り上がってほしいそんな作品でした。僕も確認したい部分がたくさんあって例えばシンデレラの声優の鈴木より子さんの息子さんの鈴木涼平さんの指摘で剣が落ちた時カメラアングルが定点から手持ちになった!っとおっしゃっていたんでそことかあと吹替の言い回しの違いとかあとヘイヘイとか隠れミッキーとかいるらしいので今年何回観るんかな〜(笑)なのでとりあえずこれはあくまでも初見時の感想ということでよろしくお願いします。

 

あと短編の『あの頃をもう一度』の話もしましょう。いきなりパイナー・トプラクさんの音楽が流れてミュージカルが始まっていってもう心掴まれっぱなしで、本編前に既にもう大満足の傑作だったんですけど、雨をキーワードにかつての自分と今の自分が描かれていくんですがラーヤでも雨って結構大事な場面で使われましたけど、本編がミュージカルではない分ここでやっておくという気の利いた観客への気遣いもさすが。一見マイナスなイメージの雨、ピクサー短編の『レッズ・ドリーム』とかでは孤独感的な使われ方をしていた雨をプラスのイメージで捉えていてミュージカルで言うと『雨に唄えば』みたいないざ雨の中に入ってみたら実は楽しい世界が広がっていて〜っと外側から見た世界と内側から見た世界の違いを描いてる面ではラーヤとも共通していて、さらに今回は晴れでも良いというのも描いていて(ラーヤでは石にされた人が雨を待つような姿勢→太陽万歳なポーズで肯定しているかも)、本当に天気関係なしに外に出たくなるようなそんな作品でした。...ウッディとボーに見えたのは俺だけかな?

 

(コメント読みパート省略)

 

以上ラーヤの感想キャスでした。ありがとうございました。

『マーメイド・イン・パリ』感想

パリの街で恋に落ちた人魚と恋をすることができなくなった男の恋愛ドラマ。老舗のバーでパフォーマーとして働くガスパールは、ある夜、傷を負い倒れていた人魚ルラを見つける。美しい歌声で男たちを魅了し、恋に落ちた男の命を奪っていたルラは、ガスパールの命も奪おうとする。しかし、過去の失恋により恋する感情をなくしてしまったガスパールには、ルラの歌声がまったく効果がなかった。2人は次第に惹かれ合っていくが、ルラは2日目の朝日が昇る前に海に帰らなければ、命を落としてしまうという。(映画.comより引用)

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/eiga.com/amp/movie/93985/%3Fusqp%3Dmq331AQPKAGYAbfTyZWO_9pWsAEg

 

...ということで『マーメイド・イン・パリ』初日に観てきました。

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とにかく幻想的でいて芸術的。この映画の監督マチアス・マルジウはアニメーション映画の監督経験もあるとのこと。予告にもある人魚の涙が真珠という表現は実写映画ながらアニメーション的で珍しいんじゃないかなと思います。映画の序盤もアニメーションで始まりアニメーションで終わります。あとは人魚のルラでいうと鰭(ひれ)の部分がキラキラしていたりするんですよね。彼女の歌を聴くと恋して心臓が破裂します。つまり死にます。歌がすごくいいメロディ何ですがね。幻想的だけど残酷なんですよ。人魚はフランス語でシレーヌといってギリシャ神話のセイレーンに由来しています。美しい歌声で船乗りを惹きつけて命を奪います。『スプラッシュ』のマディソンのような豪快さもあります。(お酒の一気飲みとか)夫を殺された妻が追跡するという構図も裏でありますがそんなに深掘りはされません。

 

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現実的な舞台に徹底した非現実性が織り交ぜられていてそこの魅力が光っていましたね。人間のガスパールも変な人で序盤はローラースケートで移動してます。パリの街を駆け巡るシーンから始まるので是非注目してほしいポイント。飛び出す絵本も登場します。現実ではありえないくらい飛び出します(笑)その本に秘密もあります。

 

それは老舗のバーとあらすじにあった“フラワーバーガー”にあります。

フラワーバーガーには苦しい世の中でも人々にエンタメを届けてきたお店でガスパール運営してきた家族の子孫になります。その店にはサプライザーというエンタメを提供する人がいます。彼もウクレレの奏者で歌手のサプライザーです。彼は物への執着がとても激しいように感じられます。そこにバーの買収の話が上がってきます。そこには親族がレコードを録音したボックスなど思い出深いものが並んでいます。とにかくセットの作り込みが素晴らしいです。バーの隠れ家的な雰囲気も見事。

 

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映像やセットで言うとお隣さんのロッシがガスパールの帰宅をドアの覗き穴から覗くシーンがあります。『美味しい美女』の鍵穴から覗くシーンを彷彿とさせます。

 

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そしてガスパールの部屋もまた趣向が凝らされていて素晴らしい。部屋の中のプロップは魅力的。一つ一つに何か物語がありそうな物ばかりでした。赤い家具で統一されているし、ビデオデッキも登場(流されてる映画は監督の『ジャック&クロックハート 鳩時計の心臓をもつ少年』)しますし、アヒルがとにかく多いです(笑)。真ん中にバスタブがある一室が特に良くてルラと過ごすのは大体ここです。バスタブの周りには例によってアヒルや香水などが置いてあります。ルラがちょっとどかしちゃっりするとガスパールが定位置に戻すんですよね。ここにないといけない!みたいな。物への執着が描かれている描写はかなり多いです。そんな彼が徐々に変わっていきます。彼は過去に何かあったそうで”恋には免疫ができたと“歌っています。特に過去が深掘りもされませんがラストは少しそれに繋がっていきます。

 

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ポスタービジュアルにもあるような青と黄色の合わさった素晴らしい色彩のバランスなどが魅力です。デートシーンなどはそういった魅力が多いので是非注目。

 

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とにかく魅力的で素敵な宝石を詰め合わせたような映画ですね。ジュエリーボックス。共通して孤独な2人が打ち解けるうちに人魚側の視点も入ってきます。それを踏まえた上でもやはり残酷さが常に残ります。犠牲者が結構出ますこの映画。人魚は序盤では昔の怪獣映画ように演出され毎日1人ペースで男を歌で襲います。夫を殺された妊娠発覚した妻のミレナというキャラの不憫さははかり知れませんが特にそこへのフォローはなく敵として描かれます。そして真相を追跡します。結構このシーン多いです。その分とても残念でした。監督の言っていたエマの紹介「最低で最高の娘が現れる」と言っていましたがその最低の部分が無駄に強調されていた気がします。監督は死の危機に一度直面しているからこそもう少しどうにかなったでしょと。

 

あとは無駄なシーンや唐突なシーンが多いです。重要な乗り物にトゥクトゥクがあります。アジア系の人が乗ってたんですが買ったのか強奪したのかずっとそれに乗ります。車だとひれが出せないからでしょうかね。唐突なシーンだと割と重要な出来事につながるタバコとライターですがいつ渡した?ってなります。(本編見たらわかる)

無駄なシーンとしてはトランシーバーを買うシーンがあります。でもすぐ壊します。煙が立ち込める中で歌が聴こえて新たな犠牲者が出るシーンなど余計に思いました。

 

すごいファンタジーに振った物語ですがやはり実写映画でもある。『スプラッシュ』のようなキャラの細かい部分はよくわからないのとは逆にキャラの造形は凝っているが故にいろいろ微妙な部分が多くなってしまった映画という印象でした。パンフでもう少しわかる部分があるかなと思いましたが内容はそこまであったわけではなかったので大好きになったという方以外は買わなくていいでしょう。

 

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